チャレンジロード三重100マイル | Silent Dream | an氏の雑記

チャレンジロード三重100マイル

今日は台風の接近で自転車に乗れないので、

前回に続いて、また私の若き日の思い出話です。

前回の浜名湖のフィルム探してたら偶然見つかったんですよ。

1985年9月29日 これも「トミさん」と一緒に参加した自転車イベント

「チャレンジロード三重100マイル」です。

100マイルということは、1マイル1.6キロですから、160キロという事です。

コースはこんな感じです。(あまり記憶がありません)

松阪ー志摩の往復です。

地図は、片道です。これを往復すると160キロになります。

スタート地点は、三重県松阪市の「卸センター」前からです。

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スタート前の様子です。

雨ですよ、雨。

トミさんの日頃の行いが悪いのでこの日は雨でした。

 

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スタートは、1~2分間隔で、10名ずつ位だったと思います。

赤色のウィンドブレーカーの「26」が私です、「27」がトミさんです。

当時は、ヘルメットかぶってる人はほとんどいませんでしたね。

サイクルキャップが定番でした。

自転車もロードレーサー乗っているのは半分くらいで、

ランドナーやスポルティーフといってツーリング車に700Cとかを

はかせた軽量ツーリング車が大半でした。

私はパナソニック(当時はナショナル自転車)のエスプレッソという

コーヒーみたいな名前のロードレーサーでした。

パーツはデュラエースとかに変えてましたね。

トミさんは、ナショナルのエントリーモデルの「ラ・スコルサ」という

ロードレーサーだったと思います。

まあ、ヘタレなくせに自転車にだけは金かけてます!

てなおバカな初心者でした。

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早朝の国道23号線を快調に南下します。

当時は、まだ拡幅工事がされてなくて、松阪市内もこんな感じで自転車が

走れました。

写真は車で先回りした私の父親が撮影したものです。

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ガンガン前を引くおバカな私です。

トミさんは後ろでゆったり補給でしょうか。

この日は、トミさんにさんざん利用されて、最後、ゴール手前でちぎられた

記憶があります。

まあ、私が単純に雨の日に後ろに付きたくなかっただけなんですが。

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この写真なんかいいですね。

でも元気がいいのは初めだけです。

雨の中の160キロは想像以上にきついです。

当時は19才ですから、怖いものなどありません。

今なら、スタート時点で雨なら間違いなくDNSですよ。

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このあたりは、結構な登りだったと思います。

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おそろのジャージ着て、列車編成して走っている人もいますね。

速さを競う競技ではないのですが、信号無視する輩が続出して、

通報されたのか、パトカーがそこら中にいました。

今なら、交通規制せずに100名以上のローディーが公道を走るなんて

まず許可が下りないでしょうね。

当時、三重県はそのあたりは寛大でした。

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昔ながらのサイクリストも当時はまだまだいました。

ランパンにTシャツですよ。雨なのに。

でも、むちゃ速いんですよ。こういう人。

途中で、雨脚が強くなり、寒さと空腹でかなり体力を無くしました。

この後、折り返して松阪市内入るまで写真がありません。

うちの父親も付き合っていられませんので、どこかで昼飯でも食べて

観光していたのかも知れません。

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松阪市内に戻って来て、国道23号線をゴールに向かうところで、

雨がまた激しくなって来ました。

あまり記憶が無いのですが、最後はトミさんから千切れて

結局追いつけずにゴールしたと思います。

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先にゴールしたトミさん

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疲労困憊で、幽霊のようにゴールした私。

タイムはおそらく7時間15分位だったと思います。

8時間以内にここに戻って来ないとゴールが撤収されて

ノータイムとなりますから、結構ぎりぎりでした。

雨の中を走るもんじゃないですよ。

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思いっきり死ねました。

あれ、トミさんもう着替えてるし。(右側)

あ、青春ですね。

 

The END

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