廃線跡ポタリングシリーズ第3弾「西尾鉄道編」です。
その昔、現在のJR岡崎駅と西尾市を結ぶ鉄道があった。(らしい)

1962年廃線らしいですが、詳しい事は自身で調べて下さい。こちらのページとかで
自転車で廃線ルートを走り、何となく鉄道跡を見つける事ができればいいな、
程度に探検しています。
この記事に書かれていることは、当日の見たままの状況と、ネットでの情報に加え、
想像を交えて書いておりますので、事実ではない可能性があります。
ご注意下さい。

スタート地点のJR岡崎駅まで自走で向かいます。
天気は良く、暑くなりそうです。豊明から国道1号線で安城へ出て、
「渡橋」経由で岡崎駅に向かいます。

JR岡崎駅の東側です。
20年以上来ていなかったので、私の記憶の中の岡崎駅とは全く違います。
もちろん西尾鉄道の面影など全く無いのでしょう。
ただ、ここ岡崎駅から福岡町までの廃線跡は、バス専用軌道として
運用されています。

バスの走行シーンは撮影できませんでしたが、
トップ写真の橋の上からバス専用軌道を撮影。(岡崎方面)

大きく右に曲がりながらJR東海道線をアンダークロスして
西尾方面へ向かいます。

トップ写真の橋の橋脚をよく観察すると、廃レールが使用されています。
廃線となったレールを使用した可能性が非常に高いです。

JR東海道線をアンダークロスしていた場所は、現在のバス路線とは別に場所で、
小川と東海道線の間を通っていたらしいです。
確かにコンクリートに不自然な段差が見えます。
こんな狭い場所を電車がくぐり抜けていたとは俄に信じがたいですが、
事実は不明です。

サクサク走り、バス専用軌道の終点「福岡町バス停(駅跡)」に到着です。
(本当は、サクサクでは無く、大いに迷い、3キロ程通り過ぎて引き返して、
何とか到着。いつものことですが)
バスが旋回できるようにこのようなループになっています。

本当は、ここまで来る途中にも廃線跡の見所はあったのですが、
見つけられずにスルーしてしまいました。

ちょうどバスが折り返し待ちで停車していました。

平日の朝夕は岡崎駅までなら1時間に4~5本もバスがあります。
(2015年4月の時刻表)

福岡町バス停近くのJA(農協)の駐車場の片隅にこのような記念碑がありました。
西尾鉄道前身の軽便鉄道の土呂駅跡。

こんな事も書き添えられています。

福岡町バス停からは、住宅街の中を廃線跡は伸びて県道43号線を横断します。
上の写真の右下から、コンビニ隣のお寺と住宅の間を通っていたようです。

市街地を出て、田畑の中を廃線跡は進みます。
このあたりは道路転用されていることは明らかです。

そして東海道新幹線をアンダークロスします。

しばらく県道43号を進むと「中島」というバス停があります。
ここが、旧中島駅跡との事です。現在駐車場になっているところに、
駅舎とかホームがあったのでしょうか。
当時のことを全く知らないので、勝手に想像しています。

再び田畑の中の廃線跡の道路を走ります。

やがて、交差点があり、正面に西尾市三和小学校が見えます。
廃線跡は、小学校敷地内を通っていた様です。

この辺りに「三江島駅」があったようですが、よく分かりません。
線路は上写真の小川に沿って敷かれていた様です。

そして、廃線跡は、安藤川を渡りますが、ここで、初めて廃線跡らしい物を
見ることができます。

橋台のコンクリートがそのまま残っています。
ここで、注目したいのは、複線対応されていることです。
記録によると西尾鉄道は単線だった様ですが、橋台は、
複線対応されていたのでしょうか。

そして、この橋台の隣にこのような解説版があります。
小さくて読めませんが・・・。
(どうしても読みたい方は画像をクリックして下さい。)

安藤川を渡った廃線跡は、緩やかに左に曲がりながら西尾市街に向けて進みます。
上の写真中央に見えるのは八ツ面山です。

国道23号線をアンダークロスして、矢作古川を渡ります。

矢作古川の西尾側に残る築堤。
正面奥は矢作古川です。(西尾側から撮影)

八ツ面山公園入り口前を通ります。

八ツ面山付近の道路は、いかにも鉄道的な盛土になっています。

そして、西尾市民病院前を通りますが、
この辺りに「久麻久駅」があったらしいです。

現在の名鉄西尾線の「西尾口駅」です。
旧西尾鉄道の西尾駅はここではなく、もう少し先まで伸びていたらしい。

どこを通っていたのかよく分かりませんが、
この辺りを走っていたのではないでしょうか。(想像)

西尾の市街地を走り・・・・。

西尾市永楽町の中部電力の交差点辺りに旧西尾駅があったらしいです。
ここで、西尾鉄道廃線跡をたどるポタリングは終了です。

この後は、久しぶりに安城豊田サイクリングロードで、安城まで戻り帰りました。
気が付けば80キロ以上走ってました。

今後も廃線跡巡りポタは続けたいと思います。
全く未定ですが・・・・。