ロードバイクポタ・旧名鉄美濃町線廃線跡ポタ(140.7Km) | Silent Dream | an氏の雑記

ロードバイクポタ・旧名鉄美濃町線廃線跡ポタ(140.7Km)

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昨日(10/18)に出かけたポタリングの記事です。

1999年3月31日廃線となった旧名鉄美濃町線末端区間(新関〜美濃)の廃線跡を
ポタってきました。
豊明市からの自走です。とりあえず、旧美濃駅を目指します。
長い記事になりますので、旧美濃駅までの道中はさらりと写真で紹介しておきます。

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朝6時30分頃出発します。
国道1号線有松付近。この日はとにかく終日秋晴れの良い天気でした。

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岩倉、江南を通り、県道17号で愛岐大橋を渡り岐阜県へ突入。
そのまま県道を進み各務ヶ原から桐谷坂(プチヒルクライム)越えて関市街に到着。

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旧美濃駅に向かう電車通りは、廃線から16年経過しているのでレールなどは
一切残っていませんが、 舗装のアスファルトの違いははっきり分かります。
今になって改めて感じることは、こんな狭い道路の脇を電車が走っていた事が
不思議です。

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そして、旧美濃駅に到着です。(正面の電車がある場所)

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ホームと駅舎はほぼそのまま保存されています。
以前は510型もあったのですが、現在はありませんでした。

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いやいやこんなところにありました。510型。
最初見たときは、「ぷっ」と笑ってしまいましたが、どう言う思考でしょうか。

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せっかくなので、うだつの上がる街並みを見物します。
これまでに何度も訪れた事はありますが、結構広いので自転車で回るのはいいです。

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ちょうど昼時でしたが、意外に人影はまばらでした。

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「うだつ」てこれです。立派なうだつが上がっています。
この後、ジャパンカップの周回コースを走る元気と時間もなく、帰りつつ、
廃線跡をたどります。

続きはまた次回・・・

なんて事当ブログではしません。
どんどん行きます。(長い長い記事になります)

その前に書き添えておきますが、昔「撮り鉄」をしていた時期があり、
美濃町線末端廃線の日。忘れもしない 1999年3月31日。
年度末のくそ忙しい日に会社休んで、朝5時から終電まで密着撮影しました。
そんな事がきっかけで、某大手おもちゃメーカーのゲームソフトのおまけ
CD-ROMに多数の写真を提供する 事になり、ここで紹介する画像はその時の
一部であり、著作権は私自身にありますのでご承知おき下さい。

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こちらは美濃駅の改札口です。(2015年)

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現役時代の改札口(撮影日不明)

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美濃駅を背に次の駅跡「松森」へ向かいますが、上の写真は美濃駅を出た直後で、
立派な舗装路になって いますが、当時は切通になっていたと思います。
土を入れて道路にしたようです。

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廃線日朝の美濃駅構内(1999年3月31日)
廃線日は午前中雨だった。新岐阜への直通電車が出発待ち。

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舗装路は坂を上り切ったところで終わり、廃線跡はレールが無くなった状態で
そのまま残っている。

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しばらく進むと廃線跡は舗装され遊歩道になっている。
「ちんちん電車遊歩道」

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廃線跡は住宅街の中を遊歩道として伸びている。

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道路を横断すると突然舗装が無くなり「松森駅跡」が現れる。
ホームと枕木はそのままの様だ。残念ながら現役時代の松森駅の写真はありません。

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さらに遊歩道は続きます。

しかし、小さな鉄橋を渡った先に舗装された遊歩道はなく、レールや枕木はなく
そのままの状態。
今後遊歩道を整備するのだろうか。ロードバイクだったので、突入する事はやめ
ておいた。
迂回して適当なところで廃線跡にもどろうとも思ったが、結局道がなく見失う。

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次の駅「神光寺駅跡」へ」向かうがこの辺りは、再び遊歩道として舗装され、
見通しの良い田畑の中を真っ直ぐ伸びている。

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「神光寺駅」から美濃方面を撮影(1999年3月31日)
上の遊歩道の写真とほぼ同じ場所。

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そして「神光寺駅跡」に到着。ホームはそのまま残っている。
新関駅から美濃駅の区間で、唯一交換(すれ違い)ができる駅で、タブレットの
交換シーンの撮影をしようと 多くの鉄ちゃんがいたな。(その一人だったけど)
廃線当日、結構名鉄職員もプライベートで撮影に来てたな
(当時は職員の知り合いも結構いた)

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タブレット交換

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もちろん、普通のお客さんも利用している。
こんなシーンは二度と見る事は出来ない。

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上の親子が下車する写真はちょうどこの辺りから撮影したもの。

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「神光寺駅跡」でしばし休憩。
昼を過ぎて、少しづつ日が傾き始める。そして次の駅「下有知駅跡」へ向かう。
来る時に前を通過したが、電車通り(県道281)沿いだ。

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ここが「下有知駅跡」。残念ながら、現役時代の写真はありません。
フィルムを探せばあるはずなんですが、膨大なフィルムを管理できていません。

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近くにこの鳥居がある事で、定番の撮影スポットでした。
駅といっても、盛り土をしただけの狭く低いホームでした。

道路脇にこんな灯篭と神棚みたいな物がありますが、現存していてちょっと
うれしくなりました。

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現役時代の写真です。撮影日はわかりませんが、廃線当日か、その直前です。
美濃町線へは廃線直前にとりつかれたかのように何度も行っていました。
こうして比較して見ると、線路を剥がしてアスファルトを敷き、道路を拡幅したのか。
そして、最後の駅「新関駅跡」に向かいます。

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線路跡は道路端から、やがて道路中央に移動して路面電車の様な併用線になるのですが、
激変しており、その様子はわかりませんでした。(写真撮り忘れ)

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当時の写真はあります。
やがて線路は長良川鉄道の現関駅前辺りから大きく曲がり、
新関駅へと向かいます。

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新関駅に向かうカーブはほぼそのまま残っていました。

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ゆっくりとカーブを曲がり併用線へ進入する電車(1999年3月31)

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そして小川を渡るとすぐに新関駅です。
鉄橋は撤去されてありませんが、川の左右のコンクリートの土台はそのまま
残っています。 春になるとサクラが綺麗でした。

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ほぼ同じ場所から当時撮影したサクラと電車。
そして、新関駅方面を見渡しますが、そこで見たのは・・・。

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建設中の住宅。
小川を渡った先には、駅の面影など一切ありませんでした。

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どこを探しても駅の痕跡はありません。

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上の住宅の写真とほぼ同じ場所から当時撮影した新関駅

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駅舎のあった商店街側へも行ってみましたが、かつてこの正面に駅があった事は
遠い記憶の中にしかありません。
そして、ここで今回の廃線跡ポタは終了です。

廃線跡はいくつも見てきましたが、美濃町線末端は比較的よく残っている方で、
不思議と少しうれしかったと言うのが 正直な感想です。
しかし、鉄道の廃線は何か大切なものを失う気がしていつも心が痛みます。

いつまでも、思い出の中にいても仕方ないので、さっさっと帰ります。
今日は自転車で来ている事を思い出し、我に返ります。
復路まだ70キロ位あるぞ。

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帰りは少しルートを変えて、各務ヶ原カントリークラブの西側の峠を越えて
行きます。 ダラダラ坂を上り切ると・・・。

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トンネルがあり、バキューンとくぐって後は下り坂。
天気は良かったが、あまりの暑さにコンビニでアイスクリームを投入。

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鵜沼へ出て旧中山道、鵜沼宿の脇本陣でちょっと休憩

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犬山橋で電車眺めて ・・・

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犬山城をチラ見して、そのあとはほぼノンストップで走り ・・・

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天白川で日がかなり傾きかけるが、明るいうちに帰宅できました。
風もなく穏やかな廃線跡ポタでした。

2015年1月からの走行距離 2037.5Km

終わり

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おまけ
美濃町線最終日の写真を少しだけ掲載します。 (自慢しておきます・ω・)

1999年3月31日
日も傾きかけて、廃線の瞬間が刻一刻と迫る。
普段は閑散としている車内や駅に、どこからともなく人々が集まり始める。

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廃線の瞬間に立ち会おうと群がるマニア。
その安全を確保する職員。しかし、職員とマニアの心情にそれほど大きな差はない。
みんなどことなく淋し気で無口。

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夕刻だというのに満員の車内。
最終電車が出発する美濃駅に続々と人々が集まる。

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そして西の空に日が沈む

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日中降っていた雨が上がった

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そして夜が来た。
過ぎる時間は早く感じるが、決して止まらない。

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そして、超満員の最終電車が美濃の駅を出発して行く。
電車が出た後も、ホームや駅舎に乗り切れなかった人たちがあふれていた。
(実はこの後、本来は回送される筈の臨時の最終便が増発された)

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最終日の改札係、真っ赤な目で最終電車を見送る。
そして、美濃町線は90年間の歴史に幕を下ろした。

今回掲載した一部の写真がTOMIXから発売されたCDROMに収録されていますが、
もう在庫がなく入手不能です。

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写真を提供したお礼にトミーから何本か現物を頂いたのですが、
1本だけ未開封のものがありました。
しかし、残念ながらお譲りする事はできません。
なぜなら、どう言うわけか、私本人もこれ1本しか手元にないのです。
みんなにあげてしまったのか。

コメント

  1. RAV2 より:

    ご無沙汰しています(^_−)−☆
    美濃駅まで自転車って凄いですね〜。今は高速道路も出来て関・美濃までアクセスはよくなりましたが。当時を思い出し、とても懐かしくなりましたo(^▽^)o

  2. an@管理人 より:

    こちらこそご無沙汰してます。
    やっぱり、美濃て高速道路で行くものですよね。
    自転車乗りは大抵距離感壊れてます。
    でもね、名鉄電車で行ける所なら自転車で十分行ける気がします。
    美濃町線は廃線だけどね。
    谷汲の様子も見たいと思ってます。