【碧南市】大浜てらまち散歩 ~失われた海を探して~ | Silent Dream | an氏の雑記

【碧南市】大浜てらまち散歩 ~失われた海を探して~

前回記事の続きになります。

大浜てらまち散歩の最後は、かつて大浜にあった美しい海の痕跡を探します。

前記事に続き、碧南市大浜の超ローカルなものになりますので、ご承知おき下さい。

昔の2枚の写真

まずは、色あせたちょっと昔の写真を2枚ご覧ください。

私の父が撮影したもので、古いフィルムの中から発見されました。
どこから撮影したものかわかるでしょうか?

<一枚目>

権現崎大橋の上から撮影されたもので、昭和52年(1977年)頃だと思われます。

写真にある灯台は、かつての権現崎灯台の先端部が保存されているもので、当時から使われ
ていたものではありません。

この頃は堤防の下へ続く階段があり、柵も白い木製でした。

現在の様子を同じ場所から撮影してきましたので比較してみましょう。

現在は、権現崎灯台緑地として整備されています。2022年5月撮影。

灯台は風雨にさらされ、随分劣化しています。
緑地化したことで、堤防の内側は埋め立てられています。
奥の埋め立て地には、トヨタ自動車衣浦工場が完成しています。

<二枚目>

大浜漁港の写真です。

権現崎の写真と同じ日に撮影されたと思われます。

最近はあまり見ない大漁旗をつけた漁船が印象的です。
中央に見える瓦屋根は西方寺で、漁港の西側から撮影されています。

現在の大浜漁港の様子です。
昔の写真とは別の場所から撮影しています。(港大浜橋上から撮影)

大漁旗をつけている船はありません。
そもそも、大漁旗というのは、大漁であった事を港で帰りを待つ家族などにいち早く知らせる
ために掲げるものです。

昔、写真を撮影した日は大漁だったのでしょう。

失われた大浜の海を探して

さて、ここからが海探しの始まりです。

まずは、昔の大浜を知る人に話を聞きます。
手っ取り早く、85才になる私のおやじに話を聞きました。

やはり、「新須磨海水浴場」「玉津浦海水浴場」がきれいな海だったというのが
一番に出てきます。

でも「ワシらは浜寺で泳いだり、釣りしたなぁ~」と言います。

私としては、「浜寺」というキーワードが気になります。
現在も大浜には浜寺町という町名が存在します。
臨海公園(元マンモスプール)のある辺です。

昔の航空写真

私自身、埋め立て前の碧南の海を知りませんので、
国土地理院の昔の航空写真で確認してみます。

出典:国土地理院 「地図・航空写真サービス」

1961年頃とされています。(61年前)

写真上部の長い防波堤が新川の河口で、現在の新須磨海岸緑地の北側です。
下部中央の2つの防波堤がある所が大浜漁港です。

出典:Googleマップ 画像©2022 CNES/Airbus、Maxar Technologies、Planet.com、地図データ©2022

googleマップで、現在のおおよその同じ場所の航空写真と比較してみます。

国道247号線を含め、左側はすべて海だった事がわかります。

大浜魚港の2つの防波堤

大浜魚港の西側は海で、現在の岸壁をなぞるように防波堤があった事がわかります。
そして、その防波堤は現在も残っています。

ほぼ役目をなしていない防波堤が、昔から残るものです。
最近更に補強されていました。

写真左の岸壁から子供の頃魚釣りなどしましたが、実は漁港の細い防波堤だったんですね。

そして、道路の場所は海で、ここが私の親父が言っていた浜寺海岸だった場所です。
現在の臨海公園(野球場)のある場所です。

浜寺海岸の遺構

臨海公園入口の橋の付近から、大浜漁港を向いて、望遠レンズで撮影したものですが、
不自然に残る石積みの防波堤。

伊勢湾台風後に堤防の拡高工事と同時に作られたものかも知れませんが、
もしかしたら、海水浴場があった頃から残っているものかも知れません。

私の親父が言うには、浜寺海岸は一部砂浜もあったけど、とにかく水が綺麗で、
泳ぐ魚が見えたそうです。
今のような高い堤防はなく、本当にすぐ海だったらしいです。

現在の高い堤防は伊勢湾台風後に災害対策で建設されたものです。

もう一ヶ所石積みの防波堤が残っています。

臨海公園にあるトイレ横の木々を分け入ると、このような光景が広がっています。
国土地理院の60年前の航空写真を見ると、この辺は砂浜であったように見えます。
更に、この石積みの防波堤の様なものも確認できます。

また、親父の話では、茶色の建物があった辺に旅館があって、
大地震(三河地震だと思う)で崩壊したことを鮮明に覚えているそうです。

浜寺海岸は2度海を失う

浜寺海水浴場のあった場所には、かつて衣浦マンモスプールがありました。
海をうばわれた代償に建設された巨大なプール。
人口の波が起こせる画期的なプールでした。

しかし、設備の老朽化と利用者の減少により、2003年8月にひっそりと閉園しました。
そして、浜寺から2度海水浴場がなくなりました。

そして、マンモスプール跡地に、その代償として建設されたのが現在の碧南市臨海公園。

マンモスプールの面影

マンモスプールが開園してから現在までずっと変わらないのが、
駐車場からプール入口へ向かう地下通路です。

オープン当初は、体育館も水族館もまだなく、全て駐車場でした。
プールがマンモスなら、駐車場もマンモスでした。

体育館ができたのと同時期に架けられた歩道橋。

橋に描かれたくじらのイラストもマンモスプールの面影といえば面影。

園内にある噴水。

遠目に見ると、マンモスプールにあった噴水に見えなくもない。

これは、マンモスプールの遺構そのもの。

ちびっこプールにあったクジラ。

あまり記憶にはありませんが、これもマンモスプール内にあったものだと思われます。
蛇口が手洗い用になっていますが、おそらく目を洗うための蛇口が付いていたと思われます。

こちらはウォータースライダーの代替えに建設された人口芝の滑り台。
”そり”も備え付けられており、無料です。(持ち込み”そり”は不可です)

マンモスプールあるある(思い出)

わかる人にしか分からないローカルネタで申し訳ありませんが、どうしても書きたいので。

マンモスプールあるある(思い出)

<これをやると監視員に注意されます>

  • プールサイドを走る
  • クジラによじ登る
  • 飛び込みをする
  • 滑り台を頭から滑る
  • 波発生機入り口のコースロープを超えて中に入る
  • プール点検なのにプールから上がらない
  • 蛍の光が流れているのにプールから上がらない(閉園後の居座り)

※最初は冷ややかに注意されますが、2度3度めになると怒鳴られます。
それでも無視すると、監視員が飛び込んで来て、退場処分になります。
ソースはオレ。

<碧南市内の小学生あるある>

  • 実は学校で4、5回分の無料入場券がもらえた
  • 気の弱い同級生と交渉すると無料入場券を譲ってもらえた
  • 7月の碧南広報に無料入場券が付いてくる
  • 近所を回って、碧南広報を大量にもらう
  • 実はマンモスプール裏のフェンスにタダで入れる穴が開いている

※基本的に碧南市在住の小学生はマンモスプール実質無料でした

<マンモスプールは命がけ>

  • 桁外れの大波が発生することがある(プールから水や人があふれる)
  • 波が発生している時に、死物狂いでしがみついてくる子供がいた
  • 溺れている小さな子供を何度も助けた事がある
  • 溺れかけて、コースロープにつかまると監視員に注意される

※今から思うとマンモスプールはカオスな場所でした。後にプールの中央につかまるための
柵が作られました。

新須磨海水浴場を探して

大浜上の熊野神社方面へ向かいます。

国道247号線碧インターチェンジから大浜上の熊野神社前の堤防を俯瞰したところです。

松林が続き、堤防の右側に新須磨海水浴場が広がっていたそうです。

堤防にある不自然なコンクリートの段が気になります。

見方によっては防波堤の断面に見えなくもないです。
昔の航空写真を見ると、所々に防波堤や船着き場の様な物が海に向かって出ているので、
その跡かも知れません。

下の道路に降りて様子を見てみましょう。

堤防道路のT字路交差点。

ここだけ、アスファルト舗装されておらず、川砂利のような丸い石を含む
コンクリートが出ています。(昔は川砂利の使用が多かった)

おそらく、海水浴場があった時代は、ここが堤防の縁で、道路のところから海が広がって
いたのではないかと想像します。

現在の「茶亭 風和里」横にある駐車場のあたりに、ビーナス像が台に乗った共用シャワー
設備があったそうです。

そのビーナス像部分は、後に衣浦マンモスプール入り口付近に移設され、プール閉園後、
現在は宮町の「さかな公園」に移設されているそうです。

もちろんこの後さかな公園にも行きます。

また、同じ様なシャワー設備が、玉津浦海水浴場にもあり、そちらは今でもそのまま
残っています。こちらもこれから現地へ行きます。

松林に取り残された石のベンチ

神社付近の堤防道路沿いは松林が続き、ここがかつての新須磨海水浴場であったことを
確信します。

松林の中を進むとポツリと取り残された石のベンチがあります。

間違いなく、このベンチは新須磨海岸の変わりゆく海をずっと見てきたのでしょう。

しばらく石のベンチに座っていると、波の音が聞こえて来ると書きたいところですが、
聞こえるのは産業道路を行き交うトラックの走行音。

玉津浦海水浴場を探して

大浜下の熊野神社方面へ向かいます。

大浜には熊野神社が2つあります。

この鳥居を潜ると遠浅のきれいな海が広がっていて、そこが玉津浦海水浴場でした。

国土地理院の航空写真で確認してみる

出典:国土地理院 「地図・航空写真サービス」

1961年頃の航空写真です。(61年前)

蜆川の河口付近になりますが、自動車工場も発電所もありません。

ビーナス像のシャワー塔

そして、熊野神社内の松林の中にビーナス像はひっそりとありました。

碧南市在中の彫刻家 故加藤潮光氏が寄贈した2つのビーナス像の1つ。

玉津浦海水浴場閉鎖後もずっとここで、変わりゆく玉津浦の海を見守っている。
これからもずっと見守って行くのでしょう。

海水浴場への階段

ビーナス像のシャワー塔から数十メートル離れた堤防下に、今にも崩れそうな
石の階段があります。

わずかに残った玉津浦海水浴場の遺構です。

もう一つのビーナス像

熊野神社から数百メート離れたところにある宮町公園(さかな公園)
ここに新須磨海水浴場にあったビーナス像が保存されています。

この様な感じで保存されていました。

マンモスプール入り口付近にあったとされていますが全く記憶にありません。

かつての新須磨海水浴場が現れるのか?

ここは新須磨海岸緑地公園の岸壁。

かつての新須磨海水浴場の沖合500メートル程の埋め立て地の先端部です。

潮が引くのをしばらく待つ。

場所によっては岸壁下に海底の砂利が現れる。

随分潮が引き、岸壁下に人が降り始めた。(密漁とかではない)
遠浅と言われた新須磨海水浴場が姿を表すのか。

しかし、この日はこれ以上潮は引かず、撤収することに。

そして、後日再び訪問

今度は、干潮時間をしっかり調べて再訪問。

なにかに取りつかれたように意地でも海底が見たい一心です。

潮が引くに連れ、岸壁下の海底が見え始める。

前日降った雨の影響で、海水が茶色く濁ってしまったのが若干残念です。

潮が引くにつれて、どこからともなく人々が現れ、岸壁下で何かを取っています。

この日もこれ以上潮は引きませんでしたが、遠浅の海は今でも存在していて、
ここに海水浴場があったことを確認できました。

これで、碧南の失われた海を探す旅は終了です。

最後に

今回この記事を書くために4回大浜を訪問して散々歩き回りました。

最終日に港大浜橋の上から撮影した大浜水門、港橋、堀川橋、高与橋。

こうして俯瞰してみると、大浜て堀川を境に全く違った魅力を持った
寺だらけの不思議な海街だと今更ながら感じました。

では、機会があればまた大浜てらまち散歩したいと思います。

碧南に関する情報があれば、ぜひコメント欄にでもお願いします。

前回の記事はこちらです。

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