昔のフィルムを漁っていると名鉄谷汲線の「更地駅」周辺で撮影したものがたくさん見つかります。
なにか惹かれるものがあったのか、更地という不思議な駅名が印象的だったのか。
今日は、そんな昔の更地駅周辺の写真を紹介します。
「更地」て難読駅名なのかと思いきや、そのまま「さらじ」でよいです。
最後は「ち」ではなく「じ」と発音するのが正しい。
なお、谷汲線は2001年10月に廃線となっています。その後更地駅は、レールやホーム屋根は
撤去されたものの、廃線の日のまま放置されています。
2022年9月に訪問した更地駅跡(廃線後)

2022年9月(廃線から21年後)に訪問した更地駅の様子。
廃線跡を訪れてしまうのは、ノスタルジックな思い出に慕っていたいだけなのか。
しかし、こんな廃墟的な遺構が無制限に保存される保証もなく、ある日突然なくなってしまうかも知れない。
そんな漠然とした不安を心のどこかにかかえつつ、存在を確認しに来ているのかも知れない。
そして、残っていることに安堵する。
最近そんなふうに思うようになりました。
更地駅があった頃

更地駅は県道から少し離れた稲富の集落のはずれにある1面1線の小さな駅でした。
ホームの脇に大きな桜の木があり、更地駅を長い間見守ってきたことでしょう。
桜の木は現在も残っており、列車は来なくとも春になると何事もなかったように花は咲きます。

「北野畑」手前の駅で、更地を出ると徐々に坂を上りながら谷汲線の車窓は変わって行きます。

おそらく1999年〜2000年頃に撮影したものですが、ホームから大きなソテツの木が見えたのが、
印象に残っています。(現在ソテツは無くなっています)
対面にもう一つホームがありますが、かつてはここで列車の交換があったのか、
貨物用ホームだったのか分かりません。

電子音ではない踏切の鐘の音が「カンカン、カンカン」と響きます。

赤い小さな電車がゆっくりホームへ入ってきます。
一気に旅情感というか、ローカル鉄道的な雰囲気が高まります。

そして、更地駅を黒野方面に向かう列車は、稲富東宮神社を回り込むように右にカーブして行きます。

別の日だったと思いますが、廃線間近で乗り納めしようとする人で混み合っていたのか、
谷汲山華厳寺の命日だったのか。超満員の510型が2両で運用されていました。

この日もワンマン運転だったか記憶がありませんが、身を乗り出してドアの開閉をする乗務員。
大正時代に作られた車両のデザインは機能重視ではないけど、浪漫だけはあったように思えます。
とにかくワンマン運転には非対応でした。

この日は保線作業が行われており、列車が通過するのを待つ作業員の方がいたので、一緒に撮影。
これはこれでよい作品となりました。
更地駅周辺で撮影した写真

扇風機以外に冷房設備はない750型。夏は窓を開けて、うなるモーター音と生暖かい外気を車内に
入れて忍んでいました。

ぎっしり実った稲。
この辺りの地名が稲富と言われる理由はわかったような気がしますが、
「更地」というのは謎のままです。
「むかしのフィルム発掘」シリーズはまだまだ続きます。
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