<むかしのフィルム発掘>名鉄谷汲線があった頃 〜坂の途中の曼珠沙華(彼岸花)〜

むかしのフィルム発掘シリーズ。今回も名鉄谷汲線をお届けします。
なお、谷汲線は2001年10月に廃線となっています。

撮影地(長瀬〜谷汲)

長瀬駅を出た列車は県道を横切り、徐々に坂を上りながら結城神社の参道を横切り谷汲へと向かいます。

結城神社

結城神社参道を横切る谷汲線。

神社において鳥居とは「神様が宿る結界にして、人が住む外界との境界線」

鉄道が神社の参道を横切る事はそれほど珍しい事ではありませんが、
後から敷かれた鉄路が神の領域である結界を横切っているのは、先代が鉄道に対して村の未来の発展を
託した折衷であることを忘れてはいけません。

谷汲線は、かつての谷汲村の人々の悲願であり、子供たちが手軽に岐阜の町へ出かけられるように
してやりたいと強く願って働きかけ開通した鉄道です。

陽の当たる坂道

結城神社参道を横切り、谷汲線は県道とは一段上がった所を緩やかにのぼって行く。

夏の強い日射しの中、モーターをうならせながらのぼって行く510形重連

小さな踏切

坂の途中に小さな踏切がいくつかありました。
「止まれ見よ」だけのいわゆる第4種踏切と言われるのものです。

廃線間近になると廃止予告がされました。

坂の途中の曼珠沙華(彼岸花)

秋、長瀬11号踏切から見下ろすと線路脇に咲く彼岸花が見えます。

改めて古いフィルムに残された写真を見ていると、結界に咲く曼珠沙華(まんじゅしゃげ)
の中を走る赤い小さな電車の様で、神秘的にさえ見えてくる。

西国三十三所観音霊場 谷汲山華厳寺へ

坂を登り切った列車は、谷汲駅に向かい鬱蒼とした林の中へ消えて行きます。

谷汲に住む人々にとっては岐阜の町に向かう鉄路であった。
一方、終着谷汲駅は西国三十三所満願霊場の最寄りであり、信仰の鉄路でもあったと言える。

廃線の終着駅がさびれた何もない場所では無く、華やかな華厳寺であることがなんとも不思議で、
今でも腑に落ちない気持ちがあります。

信仰の鉄路は絶えてしまっても、人々の信仰は今も絶えることはないのでしょう。

その他の写真

紹介しきれなかった写真を貼っておきます。

撮影地は全て 長瀬〜谷汲 間です。

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