【ちょっと前の名鉄電車 】 パノラマカー よ永遠に 〜 PanoramaCar Forever 〜

膨大なポジ、ネガフィルムをデジタル化しています。
昔の名鉄電車なんかも紹介していきたいと思います。

第一弾は「パノラマカーよ永遠に」

一部デジカメで撮影したものもありますが、少し古めで画質が悪いものもありますが、
懐かしい人には懐かしく、そうでもない人にはそうでもない。

パノラマカーありがとう運転から16年

2009年8月30日 パノラマカー最後の営業運転が企画列車として走りました。

豊明、伊奈、本宿と戻り、その後そのまま舞木検車場へ回送され、廃車解体されました。

あれから、今年8月で16年となります。

今でも、名鉄からパノラマカーが無くなった事を実感できないほど、色鮮やかに記憶に残っています。

7000系パノラマカー

国内では初の運転台を2階に上げて前面展望式とするなど、快適さと楽しさを求めた車両で、
昭和36年から50年まで9次車にわたり全116両が製造され、名鉄の看板車両となりました。

昭和57年から一部は座席指定専用車(白帯)へ改造されました。

名古屋本線 富士松 〜 一ツ木

7500系パノラマカー

7500系は7000系の改良形として、低重心車体と高性能制御装置の採用により、高速化を強化した系列。

昭和38年から45年までに6次車にわたり、72編成が製造された。

名古屋本線 富士松 〜 一ツ木

パノラマカーの編成体系は、さまざまな運用に合わせ、先頭車両だけ製造されたり、片側だけ中間車に運転台を
取り付けられた編成が登場したり、7700系から中間車を抜いて再編成されたり、カオスな状態でした。

参考資料:鉄道ピクトリアル1996年7月臨時増刊号 <特集>名古屋鉄道

展望席からの風景

特別料金を払わなくても座れたパノラマカーの一番前の席。

本当は真っ先に座りたかったけど、いい年した大人が通勤、通学途中で座るのは気恥ずかしい。
そんな人もいたかも知れません。

今日はたっぷり展望席をお楽しみください。
少々前の写真になります。時代と共に変貌していく風景にも注目してください。

新名古屋駅への進入はワクワクしますよね。

おなじみのミュージックホーンも高確率で聴くことができます。

「ど〜け〜よ〜 ど〜け〜よ〜  こ〜ろ〜す〜ぞ〜♪ ど〜け〜 ど〜け〜 轢〜く〜ぞ〜♪」

新名古屋駅の岐阜側トンネルは少々長く、右にカーブしたところで出口の光が見えます。

トンネルを抜けると急坂を上りながら徐々に加速します。パノラマDXと遭遇。

枇杷島分岐点

名鉄あるあるですが、間違えて乗車してしまった場合、ここで絶望することになります。

今は岐阜へ行く場合はどちらでもよいのですが、犬山経由だとちょっとした旅行気分を味わうことになります。

犬山橋

雨天の影響なのか、クルマが全く走っていませんが、ラッシュ時間帯はカオスな状態になります。

「ど〜け〜よ〜 ど〜け〜よ〜  こ〜ろ〜す〜ぞ〜♪ ど〜け〜 ど〜け〜 轢〜く〜ぞ〜♪」

3コーラスほど聴ける事もあります。

広見線内を行くパノラマカー(最後尾ですが)トンネルの少ない名鉄ですが、広見線と知多新線にはあります。

東岡崎

増結シーンを展望席から見物。
名鉄は、展望席があろうが、なかろうが、お構いなしでした。

かつての運用路線

御嵩駅

かつては、広見線末端区間もこんな風景が日常でした。

さすがに特急(座席指定)運用では無く、普通電車の犬山行きとして運用されていました。

蒲郡駅ホーム

蒲郡線にも当たり前のようにパノラマカーは入っていました。

特急(座席指定車)用に魔改造されたパノラマカー車内。

昨日まで無料で乗車できたパノラマカーに白帯を施し、シートを変えただけで小銭を稼ぐ、せこい商売として
一部では否定的な意見もありましたが、今となってはほろ苦い黒歴史です。

7000系パノラマカー特急運用最後の日

夕刻の佐屋駅

夕刻の佐屋駅に来ました。(正確な日時は忘れました)

この日は7000系白帯パノラカマーを使用した特急列車の運用最後の日で、
佐屋から西尾までのラストランでした。

佐屋行き特急として入線したパノラマカーが折り返し西尾行きとなり、西尾駅で特急としての
定期運用が終了します。車両自体はまだ運用が継続されます。

ちょい、マニアックなラストランという事で、特にイベントは企画されておらず、
マニアックな人達で夜の佐屋駅が異様な賑わいです。

佐屋駅発の最後の白帯パノラマカーが入線してきました。

折り返し出発待ち時間でファンサービスとして「豊橋特急」に変更。
運転士と車掌も、もちろんラストランを認識しており、通常とは違うテンションでした。

どんな流れだったか記憶にありませんが、出発前に運転士と車掌とパノラマカーとで記念撮影。
この日、この時間にこの場所にいた人はみんなが同じ思いでした。

展望席はマニアばかりで、一般の人なんて乗っていません。

全ての座席指定券は完売で、ギリギリで購入した私の席はドア横の二人がけソファ席でした。

知立駅で停車した際は、当時の知立乗務区の職員が数人ホームで見送ってくれました。(写真撮影してた)

そして、深夜の西尾駅で、最後の7000系特急列車がその歴史に幕を引きました。

パノラマカー よ永遠に

何度も書きますが、今でもパノラマカーが無くなった事の実感が湧かない。
圧倒的な存在感であったパノラマカー。

画質は良くありませんが、フィルムに残っていたものの一部を貼っておきます。

犬山橋

写っているクルマの年式で時代を感じてください。

須ヶ口駅

犬山橋

パソコンゲームソフト「Train Simulator」の名鉄版発売記念イベントで企画された列車。

ソフト作者の向谷氏と一緒に3400系(いもむし)に私も乗車しました。(撮影者は友人)

岡崎公園前〜東岡崎

岡崎城をバックに乙川鉄橋を渡る7000系パノラマカー(かなり昔です)
後のホテルや松坂屋はもうありません。現在、お城は見えるかどうか分かりません。

岡崎公園前〜東岡崎

豊明〜富士松

二ツ杁〜西枇杷島

豊明〜富士松

ひとつの時代が終わったと言ってしまえばそれまでですが、
これからの地方鉄道は人を運ぶだけでは利益を出すのは難しく、何か違った価値が必要ではないだろうか。

豊明〜富士松

人を運ぶ事に特化した、効率だけを求めた車両でなく、パノラマカーのような圧倒的な存在感。
そんなものが存在価値にならないだろうか。

暮れていく空をバックに走り去るパノラマカー。永遠に私たちの記憶の中を走り続けるパノラマカー。

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