【復刻記事シリーズ】
この記事は 2010年8月に旧ブログ「WEBポタリング倶楽部」
に投稿した記事の復刻版です。
依佐美鉄塔の跡地を探すポタリング最終回。
いよいよ現地調査委の報告です。
初めは、その跡地が分かるのだろうか、
18年という時間と夏草に覆われて、その痕跡すら分からないのではないか、
そんな不安がありました。
しかし、自転車で走り始めて、最初の鉄塔跡に近づくにつれて、
どんどん大きく見えてくる2本の木が、
その不安を一気に消してくれた。
鉄塔跡地は整地されていて、草など生えていない。
その道路側に植えられた2本の木。
まるで、街道の一里塚の様に田んぼの中に立っていた。
そこから、他の鉄塔跡の方向を見渡すと、
そのあたりにもきれいに並んだ2本の木が見えた。
それは紛れもなく、人工的に植えられた木であり、
鉄塔の跡地であることを知らしめているものであった。
やはり依佐美鉄塔は地元のシンボルであった。
今でもその思いはそれらの2本の木が象徴している。
これから、この木がどんどん育って、鉄塔の様に高くそびえるのだろう。
そして、ここに鉄塔があったことを誰もが思い出し、
忘れ去られる事などないのでだろう。
写真は省略するが、
他の跡地にも2本ずつこのような木が植えられている。
唯一記念館前に下部のみ保存された鉄塔(第2鉄塔)
送信局舎があった場所はそのまま有刺鉄線により
立ち入りが禁止されていた。
この柵の向こう側がアメリカであった時代もあったかと思うと、
なぜか今でも近づいてはいけない場所の様な気がした。
最後に記念館の裏側に回ってみた。
かつて、太平洋戦争の開戦指令を送信したこの場所。
戦争を知らない世代の我々が、平成の時代に、
ここから何を発信していけばよいのか。
ひまわりを眺めながらふとそんな事を思った。
ひどく暑い2010年8月の猛暑。
むせかえすような田んぼの緑と空の青さが印象的な1日でした。
記念館のある場所は、現在「フローラルガーデンよさみ」として、
立派な公園になっている。
正面にある管理棟は、かつての送信局舎を思わせるデザインになっている。
完
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