【復刻記事シリーズ】
この記事は 2010年8月に旧ブログ「WEBポタリング倶楽部」
に投稿した記事の復刻版です。
そもそも依佐美の鉄塔はどのあたりに立っていたのか、
何本だったのか。そう聞かれると自信を持って答えられない。
まず、いろいろ調べてみることにした。ネット検索をすれば、
いろいろな情報はすぐに集まった。
しかし、どこに立っていたのかという情報は意外になかった。
「依佐美送信所記念館」に展示してあったジオラマの航空写真を
手がかりに、Googleマップでおよその場所をマーキングしてみた。
これが、依佐美の鉄塔のジオラマである。
全部で8本の鉄塔が等間隔で綺麗に立っていた。
写真では分かりにくいが、鉄塔と鉄塔には、ワイヤーが張られ、
それがアンテナである。
鉄塔はアンテナ線を張るためのものであった。
およその位置はこれで間違いなさそうである。
後は、現地調査である。
その前に、「依佐美送信所記念館」の内部を紹介しておこう。
場所は、第2鉄塔のあった場所である。
記念館の前に保存してある鉄塔は、当時の第2鉄塔その物のようだ。
もちろん上の部分は切断されている。
内部には、実際に使用されてい巨大な送信機器が並んでいる。
なにやら難しい説明がしてあったが、正直よく分からない。
とにかく大規模な装置である。
これで17.442Khz 500KWの長波を出力できるそうである。
在りし日の依佐美送信所の写真ボード
現地調査レポートの模様は
次回(最終回)へ続きます。
コメント
こんにちは、しまふくろうと言います。
通信鉄塔はどこでも「謎の秘密基地」風の扱いと子供の郷愁の対象物ですね。
私の住んでいた千葉市でも近所に「検見川通信所」の赤白の高い塔がありました。
小さい頃はその下のグラウンドで野球をしたりしましたが、いつの間にか撤去され、今は管理棟を保存しようという運動があるようです。
鉄塔の名残を探す旅、続きを楽しみにしています。
ありがとうございます。
コメントありがとうございます。
「検見川通信所」の事を少し調べてみました。
日本で初めて国際放送を送信した施設らしいです。
保存の方向へ進むとよいですね。
これらの記事は、旧ブログ(このブログの前身)に投稿したものですが、
システム移行できなかったので、手動で復元している次第です。
今後ともよろしくお願いします。