2001年10月1日、多くの人に惜しまれつつ名鉄谷汲線は全線廃線となりました。
あの日から来月で20年が経過します。
廃線がささやかれ始めてから、何度も谷汲線を訪問しましたが、混雑が予想される
最終日には訪問せず、廃線1週間前にこっそり一人でお別れの訪問しました。
お別れ訪問してから20年目の今日、同じ場所を辿って見ました。
在りし日の写真も含めて谷汲線を振返って見たいと思います。
名鉄谷汲線について
岐阜県大野町黒野駅から揖斐川町谷汲駅まで約11キロを結ぶ鉄道でした。
全線電化されており、600V規格の小さな赤い電車が根尾川沿いを走り、
名鉄の中でも独特な魅力を持ち、多くの鉄道ファンが訪れる聖地でした。
終点谷汲駅の先には、西国三十三番満願霊場(最後の地)である谷汲山華厳寺
があり、西国三十三所巡礼の終着駅でもありました。
前置きはこれくらいで、まずは黒野駅跡へ向かいます。
今日はクルマ&徒歩です。
黒野駅跡
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黒野駅跡は公園として整備され、子供連れの家族で賑わっていました。
廃線跡がこの様な形で利用されるのは非常にうれしい事です。
廃線跡は住宅地になったり、そのまま朽ち果てて、原野にもどるケースを多く見てきました。
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廃線前の黒野駅入り口
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おぉ、遠くの方に赤白ツートンの510型が見えますね。
走って行って見ましょう!
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510型12号機です。岐阜駅前にも512がいますが、黒野にもいました。
紛れもなく510型です。(^o^)
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公園内には谷汲線の2番線3番線ホームが保存されており、
スプリングポイント標識が1本だけ立っていました。
揖斐線のホームは駐車場に転用されていました。
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廃線前の黒野駅。上の写真とほぼ同じ場所から撮影したもの。
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廃線前の黒野駅舎です。木造の古い駅舎でした。
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黒野駅レールパークでは、昔の駅舎の雰囲気を残しつつ、博物館とカフェになっています。
そして線路は続く?
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黒野駅レールパークの奥へ進むと、谷汲線のレールがあった場所は、自転車歩行者専用道として
転用され、右へ大きくカーブしながら伸びています。
国道303号線をアンダークロスし、さらにその先まで伸びていています。
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このまま谷汲まで作ってもらえると大変うれしいのですが。
今後の計画がどうなっているのかは知りません。
更地駅跡へ
廃線前に更地駅で撮影した写真です。
廃線間近の休日で、最後の乗車を惜しむファンや地元の利用者で混み合っていました。
谷汲さんの命日(毎月18日)だったのかも知れません。
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さて、更地駅のあった場所がよくわかりません。
散々歩き回り、ようやくたどり着いた更地駅跡。
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ホームは2面そのまま残っていました。
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廃線前に乗降する人たちを撮影した上の写真と同じ場所から撮影。
当たり前ですが、今は誰もいませんし、このホームが使われることもありません。
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保線員の方々と510型を撮影した場所です。
小さな山を回り込むように線路がありましたが、木々が覆いかぶさり、
そこに線路があったことが想像できません。
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そして更地駅跡から北野畑方面へ歩きます。
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線路のあった場所を避けるように咲く彼岸花がちょうど見頃でした。
黒野方面を向いて撮影しています。
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この辺りから電車は急勾配を登り、県道と並走する形で根尾川沿いを進みます。
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廃線前の同区間を行く750型
この先が北野畑駅です。
北野畑駅跡
まずは廃線前の北野畑駅の写真を御覧ください。
谷汲線は全線単線で、北野畑駅で入換えを行っていました。
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北野畑駅で並んだ750型。
タブレット(通票)の交換を行います。
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北野畑駅が有人駅であった時代を私は知りませんが、立派な木造の駅舎がありました。
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春には桜と菜の花が色を添えてくれます。
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北野畑駅跡は、ホームが残るのみで、駅舎は完全に撤去され、土台と思しき
コンクリートがあるだけです。
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桜と菜の花の場所は、桜の木は残されていますが、周辺の木々が覆い被さっていました。
それでも、春になれば花は咲くのでしょうか。
この先、根尾川沿いの堤防道路のすぐ下を走る形で、赤石駅へ向かいます。
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廃線前の赤石駅のホームから撮影した750型
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赤石方面を見て撮影していますが、あちこちにトラ柵が残っており、
線路の盛土ははっきりと残っています。
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北野畑~赤石間で撮影した510型。
おそらく上の写真の踏切辺りから撮影した記憶があります。
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根尾川の堤防道路下を行く510型。
赤石駅付近から撮影。
長瀬駅跡
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廃線前にあった長瀬駅の待合室です。
電車の運転室と同じ色の塗料で塗られた室内が印象的な建物でした。
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長瀬駅跡は自転車置場がゴミ収集場に転用されていますが、それ以外なんの痕跡もなく
無くなっています。
自転車置場の向こう側に緑色の待合室があり、写真左側にホームがあった筈ですが、
草原になっています。
谷汲駅跡へ向かいます。
根尾川を離れ、急坂を登りながら谷汲駅へ向かいます。
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神社の参道を横切りる有名な撮影地でした。
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急坂を登る510型
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この辺りは全く変わらず、同じ風景でした。
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谷汲へ向かう上り坂がお気に入りで、何度も撮影に出かけました。
そして終点谷汲駅です
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看板が旧谷汲駅となっていますが、それ以外は基本的に変わっていません。
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廃線前の谷汲駅です。駅名板が「谷汲駅」となっています。
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構内はほぼそのまま保存されており、最後まで走り続けた750型と510型が保存されています。
20年の時を経ても、そこに駅があって電車が走っていた事を忘れることなく、この様な形で
保存されていることは素晴らしい事だと思う。
しかし、その駅と電車を見るために、クルマで来る事の矛盾をどこかで感じつつ、
それでも残っててよかったと安堵している自分がいる。
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どこかに大切な物を忘れて来てはいないだろうか。
おわり
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