自転車に乗って徳山ダムを見に行こう!~岐阜県揖斐川町~ | Silent Dream | an氏の雑記

自転車に乗って徳山ダムを見に行こう!~岐阜県揖斐川町~

2022年10月1日に自転車で徳山ダムへ行った記事です。

大垣駅前からスタート

早朝6:30 JR大垣駅北口。今日はここからスタートします。

朝焼けの中、大垣市街地を北へ北へ走ります。

養老鉄道北大垣駅。

駅の近くを流れる小川沿いに咲く彼岸花がきれいだったので、緊急停止。
早朝に見る彼岸花は少し雰囲気が違います。

本日のルート(予定)

こんなルートで走る予定でしたが、
通行止め区間があり、迂回を余儀なくされます。

田んぼの中の1本道を快走

大垣市街地を抜け、車通りの多い国道を避けて田舎道を走ります。
ここは県道254号線。早朝の田んぼの中の一本道を快走。ほぼ無風。

やがて粕川に架かる黒田橋を渡ります。欄干が石造りの素敵な橋です。

橋の上からの風景も最高です。
午前中、天気は快晴で雲ひとつありませんでした。

彼岸花が綺麗だったので緊急停止。
田んぼの中に突然現れた小さな神社と彼岸花、秋の高い空、こんな風景に癒される。

揖斐川沿いを走る

県道254号線はやがて揖斐川沿いを進みます。
右手に揖斐川を見ながら走り、やがて赤いトラス橋が見えます。

しかし、橋の前まで来た所で全面通行止め。相次ぐ豪雨の復旧工事。

迂回案内に従い、橋を渡って対岸の国道へ向かいます。
橋の上から揖斐川を撮影。

橋の下にある鮎料理店の看板。
食品サンプルて言うのか、串刺し鮎がリアルです。

揖斐峡

国道303号に出てしばらく進むと、歩道の無い長いトンネルがあり、
走りたくなかったので、川沿いの細く薄暗い旧道を進みます。

木々の切れ間から揖斐川を見ると、この様な美しい風景が広がっています。
この辺りが「揖斐峡」らしいです。

県道254号へ復帰(できず)

揖斐峡から見えた赤橋を渡り対岸の県道に復帰します。

しかし・・

当分の間「全面通行止」の看板。
再び橋を渡り、国道303号へトボトボ戻ります。

久瀬トンネル

国道303号線「久瀬トンネル(約2.1キロ)」を通ります。

川沿いの道もありますが、久瀬トンネルは片側に歩道があるので、ショートカットします。

トンネル内は照明もあり安全です。

帰路もこのトンネル通ったのですが、地元のおばあちゃんが一人で歩いていて、
ちょっと驚きました。(普通に歩くと30分はかかります)

久瀬ダム

久瀬トンネルを出て、再び対岸の県道254号へ戻ります。

途中ダムが現れますが、これは徳山ダムではありませんwww。

久瀬ダムです。ダムの上の橋は国道303号線です。

道の駅「星のふる里 ふじはし」

道の駅「星のふる里 ふじはし」です。まだ11時前だったので閑散としていました。

15分ほど休憩して、再び走り出します。

徳山ダムまでは残り15km程度ですが、ここからは4%程度(最大7%)の上り基調です。

横山ダム

程なくまたダムが現れますが、これも徳山ダムではありません。横山ダムです。

無事ダムカードをゲット。

管理事務所で「ダムカードありますか」て聞いたら、
外にあるよと言われそうですね。(本物はちゃんとあると思います)

奥いび湖

横山ダムを過ぎてから揖斐川の流れは穏やかになり、水量も増えます。
いわゆるダム湖。「奥いび湖」です。

片側通行と歩道のないトンネルの連続

横山ダムを過ぎてからは片側通行区間が数か所ありました。

トンネルも幾つかありますが、自転車が走れる歩道は一切ありません。

トンネル内の片側通行区間とか、スリリングな場所もありました。

謎のお城

徳山ダムまで9キロの看板。
下に藤橋城5キロとありますが、こんな山奥にお城があるのだろうか。

確かにお城です。しかし想像していたものよりデカいぞ。

これは「藤橋城(西美濃プラネタリウム)」という施設の様です。

1~2階がなんとプラネタリウムになっているそうです。

詳しくは揖斐川町のホームページを御覧ください。

そして徳山ダムへ

いつの間にか車通りは少なくなり、きれいに整備さた真っ直ぐ伸びる上り坂を進む。

幾つも橋を渡り、長いトンネルを出ると、右側に茶色の壁が見えました。

これが徳山ダムです。

ロックフィルダムという種類のダムだそうです。

放水路を上から見下ろしたところです。
高いところが苦手な人にはちょっと辛いかも。(私は平気です)
大きさがよくわかります。

ダム湖側です。貯水量は半端ないです。

大垣駅前からここまで50キロ弱でしたが、徳山ダムにたどり着きました。

しかし、今日のライドはまだ終わりません。

ダムに沈んだ村(旧徳山村)

昭和62年地図から一つの村が消えた。それが旧徳山村。

徳山にダム建設の話が持ち上がったのが昭和32年(ダム建設の調査区域に指定)
昭和51年に徳山にダム建設が决定。
全ての住民が別の町に移り住むことになる。

昭和59年。当時の区長が先陣を切って村を出た。
これを皮切りに徳山村の住民1500人は県内五か所の集団移転地などへ引っ越した。

そして、村の建物の殆どが解体され、バス路線も廃止され、地図から村の名前が消えた。

平成20年に徳山ダムは完成した。

国土地理院の航空写真で確認してみる

国土地理院地図閲覧サービスを利用して徳山村があった頃と現在を比較してみる。

出典:国土地理院 「地図・航空写真サービス」

1977年(昭和52年)頃の徳山村の航空写真

出典:国土地理院 「地図・航空写真サービス」

現在の地図(2022年)
徳山会館を中心として同じ尺度で表示しています。

重ねて表示してみる
出典:国土地理院 「地図・航空写真サービス」

地図中の「+」印(徳山会館)を中心に重ねています。

現在陸になっている場所は、当時山の上だった事がわかります。
村全体が水没している事もよくわかります。

更にダム湖を進む

更にダム湖にそって自転車を進めます。

橋とトンネルが連続する静かな道を進みます。

トンネルの切れ間から広大なダム湖が現れます。
静まりかえっていて、自転車を漕ぐ音と自分の息づかい以外、音のない世界です。

徳之山八徳橋

トンネルを二つ抜けると巨大な吊り橋。「徳之山八徳橋」が現れます。

この橋は、ダムの上からも遠くに見えます。
橋は渡らずに手前の細道を左に進みます。

徳山会館

旧徳山村民のみなさんが故郷に集える場所として整備された施設です。

右側の階段から屋上へ行く事ができます。

旧徳山村を紹介する掲示物などが屋上に設置されています。

屋上からの風景

この水の中に今でも徳山村はあるのでしょうが、そこへ行く事はできません。

廃村から35年。当時の村の様子を知る人も少なくなってくるのでしょうが、
ここに徳山村が存在していた事をいつまでも忘れてはいけないと感じました。

感謝

徳山ダムは、洪水調整、河川環境の維持、水道、電力など、街に住む私達に多くのメリットを
もたらしてくれます。

それも多くの人々の犠牲のもとに成り立って居ることを忘れてはなりません。

そんな感謝を込めてダム施設の敷地内にある「感謝の碑」

ヘトヘトになって大垣駅まで戻った事を書き添えておきます。

おわり

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コメント

  1. tsun より:

    ご無沙汰しております。
    私はその一週間前、車で冠山登山をしました。
    その帰り道、完成間近の福井に抜けるトンネルの手前で前輪左タイヤのサイドカットのパンクをしてしまいました。
    スペアタイヤは無いし補修材もダメ、そして携帯は繋がらない…。
    パンクしたまま、道の駅まで20Kmほど走ってレッカーを呼び、我々はタクシーとJRで帰宅しました。
    まあ、自動車保険のロードサービスが使えたので良かったです。

  2. an@管理人 より:

    >tsun
    ご無沙汰しております。
    山奥で車のパンクとは不運でしたね。しかも携帯圏外とか。
    自転車も保険のロードサービス付けてますが、携帯圏外は想定してなかったな。
    コメントありがとうございます。